2010年5月27日木曜日

太陽の夏ミカン


四国宇和島の広見町の自然児、海山祭組の奥山君から今年も夏ミカンが届きました。

例年に増して、凄い中身が濃い!太陽のエネルギーありがとう!

そして、同封されていた文章がいい!ここに載せました。


「進化と深化」


 我々脊椎動物の祖先は、何億年か前、海の中でヨロヒョロ泳いでいた「ナメクジウオ」のようなものだったと言われている。

彼らは、カンブリアの海の中、他の動物たちの餌だった。

安全な場所を求めて逃げ込んだのが、ミネラル分の少ない川であったろう。

ミネラル分が不足するため、また海に戻るとそこで、「待ってました!」と食べられてしまう。

生死をかけた上り下りの繰り返しの中で、手に入れたものが、ミネラルを体内に貯える方法・つまり脊髄であり、骨格である。それと同時に、強靭な筋肉・・・。

気がつくと、海の中で今まで食べられていた連中を食べることもできるようになっていた!

弱い者、追い詰められている者こそ「進化」できるということだろう。


 我々人類の祖先が猿だったとしたら、やあり森の中では、特別弱い連中だったに違いない。

森の端々に追いやられ、豊かな餌場は、強い猿たちに支配されていただろう。

我々の祖先は、それこそ猿の目を盗んで、果実など両手両脇に抱え・・結果的に2本足で走って逃げなければならなかった。

他の肉食獣がいるけれど、森のはずれの草原に逃げ込んで、食事をし、糞をした。

そして、空腹になると、森の様子を探りに行く・・・。

 森と草原の行き来の繰り返しの中で、我々の祖先は、様々の知恵を身に付けただろう。

身体の機能も格段に向上しただろう。

弱い者であるが故に「進化」したんだと思う。

同時にその営みは、森の領域を拡げることになっていた。

気が付くと、我々の祖先は、森を拡げる役割を担っていたのだ!


 そんな中、彼らが手に入れた最も貴重なものが、「いのちを愛でる」能力ではないだろうか。

ある時、一本の木を目の前にして、その美しさに、その慈愛に茫然とした瞬間があったのだと思う。

以来、祈りを込めて種を蒔いたり、新芽を慈しんだり、咲く花の美しさを讃えたり、実りに感謝したり・・・

我々の内面の深まり・・・つまり「深化」が起こったのだと思う。

そして、それこそが、人類の根幹になったのではないだろうか!?

 「愛でる力」を捨てようとしている現代において、遠く離れていても、この一つ一つの果実を「愛でて」もらうことが、我々の喜びです。


                         2010年5月  海山 祭組




ありがとう!

また会える日を!

みなさん、元気で!